ノーベル物理学賞の赤崎勇氏・天野浩氏・中村修二氏に共通する4つのこと
1. 「好きなことをしてきた」
赤崎勇 教授
「最初のころは(青色LEDは)20世紀中にはできないだろうと言われていたので、どんどんやめていく人がいましたが、私はちっともそういったことは考えていなかった。成否は考えず、ただやりたいことをやっていた」
天野浩 教授
「学生時代、一番できのわるい生徒でした。人の言うこともきかず、好きなことをやっていました」
お三方とも、「好きなことをしてきた」とおっしゃっています。中村修二 教授
「好きなことを選んで、情熱を持って仕事をすれば、ノーベル賞をもらえる」
中村教授においてはサラリーマン時代もあり、社長に直訴して青色LEDの研究を始めたといいますから、「研究者」に限ったことではないと言えそうです。
2. 「情熱」を持って続ける
赤崎勇 教授
「私がときどき言っているのは、あまりはやりの研究にとらわれないで、と。しかし、それを本当に自分がやりたいのであればやりなさい。それが一番だと思います。自分がやりたいことだったら、なかなか結果がでなくてもやり続けることができると思います」
天野浩 教授
「研究に必要なものは、情熱とねばり」
「信念を持ち、方針さえ間違えなければ必ずできる。あきらめないこと」
赤崎教授は、LEDの研究を40年も続けているというから驚きです。中村修二 教授
「好きなことを選んで、情熱を持って仕事をすれば、ノーベル賞をもらえる」
結果が出ないことを続けるというのは、そうとう大変なことのように思います。
中村教授は以前勤めていた職場で、新製品を作っても利益が出ず厳しい立場に置かれ、上司から
と言われたこともあったといいます。「会社の利益をお前が全部開発につぎこんでいる。責任をとれ」
好きなことを、情熱を持って続ける、ということが大切なのですね。
しかしそれで必ず結果が出る、というわけではないのも、また人生ですが。
3. 常識にとらわれず、チャレンジする
赤崎勇 教授
「当時LEDは赤と黃しかなく、青色がなかった。つまり難題が残されていた。それを選ぶかはその人次第。それが運だった」
天野浩 教授
「世の中の役に立つ、人が選ばないテーマに取り組みたかった」
難しい道を選ぶ。中村修二 教授
「私は高校は愛媛県、大学は徳島大学、卒業後は徳島の企業に就職した。学歴などは関係ない、本人のやる気が一番」
人が選ばないテーマに取り組む。
それが結果的に、人と違う大きな結果を生み出したということですね。
4. 周りの人への感謝
赤崎勇 教授
「決して私ひとりでできた仕事ではなく、一緒に仕事をしてきた仲間や組織の大きな支えがあった」
天野浩 教授
「土曜も日曜も仕事で、家をあけていた。家族に感謝したい」
「赤崎先生がいたから(青色LEDの実験に)自分も飛び込めた」
「(中村氏は)実験の神様。あの研究があったから実用化が進んだ。最大の功績者は中村さん」
いくら才能や情熱があっても、一人でできることには限界があります。中村修二 教授
感謝を伝えたい人として、かつて勤めていた日亜化学工業の創業者、小川信雄さんの名をまず挙げ、「青色LEDの開発をしたいと言ったら即座に『オーケー』と言ってくれた」
周りから協力してもらえる人であった、とも言えるのではないでしょうか。
まとめ
スティーブ・ジョブズも世界を変えましたが、このお三方もLEDによって世界を変えましたね。私たちは、まず自分の周りの世界をちょっと変えるところから、はじめましょうか。
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管理人コウスケのひとこと
親が子供を自分の「作品」だと考えていたら怖いし、自分は周りの人の作品だと考えると自分の人生をコントロールできないようにも思うが…。 と、そんな反応があるのを想定済みだろうなぁ。 / 創造主の悦び - Chikirinの日記 http://t.co/7bbeGdacbJ
— Kosuke (Ko's Style) (@kosstyle) 2014, 10月 5
- [2014/10/08 21:23]
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